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フォトグラファー岡本尚文
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岡本尚文写真集『沖縄01外人住宅』は、下記店舗にて先行販売しております。

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HP更新しました。  写真集『沖縄02 アメリカの夜』へのコメントを追加。『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』を撮る為、1969年沖縄に渡航した村瀬春樹さんの手紙形式によるコメント。

HP更新しました。

 写真集『沖縄02 アメリカの夜』へのコメントを追加。

 

 今まで見た中で最高に真っ暗な映画『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』を撮る為、1969年沖縄に渡航した村瀬春樹さんの手紙形式によるコメント。

 

http://okamotonaobumi.com/book01.html

 

 

「沖縄のマジムン(魔物、もののけ)が立ちのぼる写真集」

 

岡本尚文さま

 素晴らしい写真集をお送りいただき、ありがとうございました。

 じつに不思議な写真たちですね。そこに写されているのは、紛れようもない建物、看板、クルマ、街灯──といった有形有体の物質なのに、私の眼はぜんぜんちがうなにか──形のないものを見ているようです。

 

 私が初めて沖縄に渡ったのは、1969年の夏、「復帰前」のOKINAWAでした。コザの郊外にハウスを借り、映画を撮影していました。

 琉球海運のひめゆり丸で那覇港に上陸したとき、係官が真っ先に提示を求めたのは顔写真付きの「渡航許可証」。本土・沖縄間の行き来にはパスポートが必要だったし、滞在するにはビザの申請をしなければなりませんでした。

 

 クルマは右側通行、通貨はUSダラー。港の銀行でわずかばかりの千円札を1ドル紙幣と25セント玉に両替しました。沖縄は「アメリカ世(あめりかゆー)」の真っただ中にありました。

 

 基地の街コザはOKINAWAの縮図でした。日本本土には見られないDIRTY WAR(醜悪なベトナム戦争)の「闇」がありました。

 出撃した米兵たちの多くがボディ・バッグ(遺体を詰めた寝袋)に詰められて基地に帰還します。街の市場では、胸と腹を銃弾で切り裂かれ、大小の穴が空いたままの迷彩服がハンガーに吊るされ、黒ずんだシミの痕が生々しく残るボンバー・ジャケットが売られていました。

 

 夜の街は荒れていました。明日をも知れぬ米兵たちを相手にした「3ドル売買春」が繁盛していました。15分=3ドル、30分=5ドル、オールナイト=10ドル(黒人兵用の相場です。白人兵の場合には「より高級な売買春宿」があって、15分=5ドル、30分=10ドル、オールナイト=20〜50ドル以上と格差がありました)。

 苦界に身売りした女性たちが街の景気を支えていました。ウチナーグチ(沖縄言語)では、彼女たちのなりわいを「モトシンカカランヌー(元手のかからない商売)」ということを知りました。

 

 コザの大通りは白人街と黒人街に区分けされていました。白昼の路上で、白人兵と黒人兵が入り乱れて殴り合う流血沙汰やリンチがありました。

 ある蒸し暑いスコールの夜、私たちがコザ十字路近くのスナックで泡盛を飲んでいると、黒人たちがたむろするホンマチ・ストリート(本町通り)で、人種差別に抗する暴動が発生しました。私たちが撮影機材を手に現場へ駆けつけると白人憲兵のパトカーが烈しく炎上していました。“Black is Beautiful !=黒い肌こそ美しい!”──アフロ・アメリカンたちは白人社会の美意識と価値観を根こそぎひっくり返そうとしていました。

 

 沖縄は異国でした。血塗られたアメリカでした。コザは屈辱にまみれたサイゴンでした。

 

 ──にもかかわらず、OKINAWAの街並みは美しかったのです。クルマで軍用道路1号線を那覇からコザへ飛ばすと、赤土の切り通しのカーブの曲がり端(はな)でふいに視界が開け、赤と白に塗り分けられた2本の巨大な煙突があらわれ、その向こうに白波が泡立つ東シナ海が見えたりして、さながら、アメリカTV映画の『ルート66』の冒頭シーンのようでした。

 

 コザの市街に入ると、プラザ・ハウスからはじまる商店街はとてもにぎやかで、原色のペンキも鮮やかな横文字の看板がずらりと並んでいて、これはハリウッド映画の西部劇の宿場街のようでした。

 

 OKINAWAで最も美しかったのは基地でした。南国の青空の下、手入れがゆきとどいた芝生の上に米軍ハウスが整然と並んでいました。赤いブッショウゲが咲きそろうその庭から、黄色いナンバープレートに「KEYSTONE OF THE PASIFIC」と書かれたピカピカの大型車が滑り出してきたりします。そんな光景に出会うと、なぜか、心がうきうきしてきたのを憶えています。

 

 ほんとうにヘンな感覚なのですが、私にとって、それが1969年のOKINAWAであり、偽らざるコザの実感でありました。

 

 岡本さんの『アメリカの夜』を開いたとき、私の眼が見ていたのは、あのときの「それ」だったのではないかと思い当たりました。

 見る者の無意識に前触れなく達し、その深奥を妖しくマッサージする写真たちだと思います。

 ありがとうございました。

 

村瀬春樹


■略歴

 1944年:横浜市生まれ。エッセイスト。道具学研究者(便器/湯たんぽ/戦時下の代用品蒐集家)。

 1964年〜:早大全共闘卒(ノンセクト・ラジカルズ)。在学中から独立プロで反戦記録映画を製作。

 1969年7月:「本土復帰前」の沖縄へ渡航。コザ(現・沖縄市)を拠点にドキュメント映画を撮影。ヨシワラ(売買春街)の女性たち、嘉手納基地に駐屯するアフロ・アメリカンの兵士たちと出会う。

 1970〜80年:ゆみこ・ながい・むらせとともに「武蔵野火薬庫・ぐゎらん堂」(武蔵野市吉祥寺)主宰。500回以上のライブ&イベントを企画・開催。

 1980年:全ての仕事を辞め、ハウスハズバンド(主夫)に。

 1984年〜:執筆活動再開。多様な分野で新聞・雑誌に執筆。

 2009年〜:戦争を証言する「戦時下の代用品コレクション」など2000点を沖縄市に寄贈。報道写真家・石川文洋氏と村瀬&ながいの名を冠した「写真と道具の常設展示館」=沖縄市立『ヒストリートII』が開設される。

 

■主な著書など

『誰か沖縄を知らないか』(三一書房)/『怪傑! ハウスハズバンド』(晶文社)/『台所タッグマッチ!』(大和書房=ゆみこ・ながい・むらせとの共著)/選集『日本のフェミニズム』(岩波書店)中に『主夫革命』/『本気で家を建てるには』(新潮社)/コミックス『住宅探偵におまかせ! マンガでわかる家づくり 』Vol .1〜4(講談社)/コミックス『熱血棟梁! 一平太が行く』Vol .1〜2(日経BP社)/『おまるから始まる道具学/モノが語るヒトの歴史』(平凡社)ほか著書・論文多数

 

 

 

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