2011年、沖縄県立美術館で行われた、東松さんの写真展『東松照明と沖縄 太陽へのラブレター』の図版を見ている。
日本とアメリカと沖縄。
彼はこの三つの地点を循環する眼を持っていた。
しかし、最後まで沖縄に対するこだわりは捨てなかった。それを愛と呼ぶ人は多い。
< 9月22日から10月10日にかけて、恵比寿のパシフィックファニチャーサービス(PACIFIC FURNITURE SERVICE http://pfservice.co.jp/shopfactory/ )に於いて、写真展『沖縄02 アメリカの夜 A Night in America』を開催します。
フェイスブックページ https://www.facebook.com/lifegoesonokinawa/
詳細決まり次第逐次アップします。 >
中平さんが亡くなった。
僕のが持っている『なぜ、植物図鑑か』中平卓馬(晶文社)の奥付は(1977年2月20日5刷)となっている。
多分、初めての沖縄行き(1978年)前後の時期に『主体の転換』粉川哲夫(未来社)、『たたかう音楽』高橋悠治(晶文社)、などと併せてこの本を手に入れたのだ。
それから、なにかことがあるたびに読み返す。
これから先ずっと、写真の本質を語ろうとするどんな試みも、この本を超えることは出来ないだろう。
その『なぜ、植物図鑑か』の中で中平さんは、事物を見るということは常に事物にも見返されることであり、「それは、一片のポエジーも介入する余地はない。
もし、ポエジーが、詩が生まれるとするならば、この私の視線と事物の視線のまったき非和解性、その敵対性に目をつぶり、私の<気分>によって事物の輪郭をぼやかす時にしかあり得ない。
それはあきらかに<私の思い上がり>であり、と同時に、私の<眼の怠惰>だ。(p28)」と言っている。
制度化された「見る」ということから離れて、自らも解体される程に事物と出会うこと。
それは、ロラン・バルトが『明るい部屋』(みすず書房)のなかで「プンクトゥム」と名付けたものに繋がっていく。
アルコール中毒で倒れ、帰還して以後の写真。
あのような写真を撮り続ける勇気のある写真家は、もうこの先出てくることはないだろう。